いつか怨念が成仏できますように
昨夜はスタバで集中して勉強していたため、食事が遅くなり、そのまま近くの飲み屋に行ってしまったからか、身体が目覚めてしまい、なかなか寝つけなかった。
寝付けなくなると、追憶モードになり、過去の恥ずかしい想いやら後悔やら怒りやらがこみ上げきて、ますます眠れなくなるサイクルになる。
その中でも、怒りってのは結構厄介で、今は縁も利害もない人に対する怒りというのが、込み上げてくるものなのだ。
そんなことが影響してか、翌日の今日、新人の研修合宿の時の資料がでてきて、その人のいいところと悪い所を2つずつ書きつられるというなかなかお下劣な課題であった。
書いた事は覚えていたが、書かれていた内容は忘れていた。
久しぶりに見ると、もうコテンパンに書かれていた。概ね褒められているのは、キャラや素直さみたいなノータリンの人が書かれる内容に終始していて、
けなされていたところは、思考力や学習・反省や態度、意識等に関してのもので、内容よりもその表現の仕方に対して配慮も優しさもないのが2人いて、なんだか見て落ち込んだ。ってか、あいつらの事なんで嫌いだったかという事を再認識した。
そして、当日のあの苦しさを思い出した。
あのころはもうほんと死にそうで、油断したらいつでも号泣できそうで、ぶっちゃけ同部屋の人が来る前に1人でベッドで泣いていたし、いつでもドロップアウトしそうだった。ほんと忠告や指摘を真に受けたら死んでいた。
表層で防御してたから、時間がかかったのかもしれないが。
でも、あの頃の自分があるから、今はある。そんな社会人生活のスタートを切ったので、その後にも試練はあったけど、その苦しさと比べたらなんとかなった。
だから、徐々に頭角を現す成果をだし、行動を示し、期待と信頼を獲得していく過程は非常に気分が良かった。
偉そうに言って、バカにしていたヤツラを追い抜く感じが。
でも、そんなことにはもう無関係の状態でも、私の怒りは成仏していない。
それは過去がとか、そいつがとかではなく、今この瞬間が堂々と生きていないからかもしれない。
今に自信があるときは、そんな事を気にしないだろうし。
そもそこ瞬間瞬間を楽しんでいればコンプレックスも感じないのだろうし。
でも、あの研修課題を観て当時、ズタボロの私に手を差し伸べてくれた数名の人達を思い出した。
敵もいるだろうが、見てくれている人、応援してくれる人、支えになってくれる人もいたのだ。
まああの頃と比べたらめちゃくちゃ恵まれているし余裕がある状態だ!
今この瞬間を堂々と楽しもう。